2023年度 文化財学・民俗学部会発表要旨
 
一、大友氏館の「二皆」主殿に関する考察

 広島大学 中村泰朗

 大友氏館とは、大名・大友氏の歴代当主が居住した豊後府内の館を指す。大友氏館に存した諸殿舎を検討するうえで重要な史料となるのが、十六世紀後期に筆録された木割書『木砕之注文』である。同書は一般的な建物の木割を記した記事と、実在した建物や小道具の具体的な寸法を記した記事などから構成されており、ここには大友氏館に関する記事がいくつか含まれる。
 本発表では、『木砕之注文』所収の「御屋形様以前ノ御二皆ノ御主殿寸凡取置候」と題された記事について検討を加える。同記事は大友氏館に建った「二皆」主殿の寸法を具体的に記したものである。中近世移行期の主殿については、その実像を知るための史料が限られており、この点からすると同記事は住宅史の研究を進めるうえで注目すべきものと言える。
 本発表では同記事の内容を詳細に検討し、史料によって知られる範囲で「二皆」主殿の建築的構成を明らかにする。


二、安土城伝本丸南虎口に関する考察

 広島大学 勝野永

 安土城は、織田信長によって安土山に築かれた城である。伝本丸南虎口は、天主台や伝本丸跡などがある主郭部の南東部に所在する。滋賀県教育委員会の調査によると、伝本丸南虎口はT字路であり、主郭外周路に繋がる南側の門、伝本丸跡に接続する西側の門、伝三ノ丸に繋がる東側の門の、三つの門で閉じられた空間であるとした。
 木戸雅寿氏は、安土山南麓から主郭外周路に至る伝大手道を天皇行幸のための道と想定し、伝本丸南虎口が行幸専用の出入口であるとした。伝大手道の機能や性格などについてはこれまで諸氏により議論が展開されてきたが、伝本丸南虎口をはじめとした諸門についての建築史学的な検討は加えられてこなかった。本発表では、発掘調査により判明した各門の遺構をもとに各門の規模を概観し、実際に行幸が行われた場合について想定する。その上で、伝本丸南虎口が行幸専用の出入口として相応であるかどうか考察する。


 
三、 福山城伏見櫓における建築部材の加工痕について

 比治山大学 山口佳巳

 福山城は、水野勝成によって元和八年(一六二二)に築かれた城である。築城の際、廃城となっていた伏見城の遺構が移築されたと伝えられている。近年、石垣調査、建造物調査、墨書銘調査など、伏見櫓の実相解明に向けた調査が進められている。このたび、その一環として伏見櫓の主要な建築部材に残る加工痕の拓本を採取する調査を行った。
本研究では、採取した加工痕の拓本を分析することにより、使用された大工道具を推定し、建築(移築)当初の状態や後世の修理の履歴等について新たな知見を得ることを目的とする。分析の結果、大工道具として手斧・大鋸・台鉋・鉞が使用されていること、ほとんどの部材において使用率が高いのは手斧であることが分かった。本発表では、加工痕から推定される大工道具を報告した上で、手斧の加工痕の形状を分類し、編年を試みる。

 
四、広島県福山市の旧守屋家住宅

 福井大学 山田岳晴

 旧守屋家住宅は広島県福山市神辺町に現存する。本住宅は中条八幡神社の参道にあり、その北側に敷地を構える。神主家であった守屋氏の旧住宅である。元禄十四年(一七〇一)の棟札が存在したと伝えるが、現在、所在は不明である。この度、学術調査を行い、建築細部から元禄期の建築と判断でき、多くの特徴が見出されたため、調査結果を報告する。
 旧守屋家住宅は、田の字形平面を持つ。割竹や矢竹を並べた置土の竿縁天井、大型の掘り炬燵、床の使用などが見られ、格の高い造りとする。柱に中世からの技法であるチョウナ掛けや槍鉋の痕が確認できた。梁は曲がりの少ない細材を使って折置組とする。屋根は上屋梁に扠首尻を挿して支え、その下に置桁がない棟束と棟木が組んでおり、特徴的な小屋組とする。部屋境と棟通りにはずれがある。
 主要構造材などが当初材であり、年代も古く、特徴的な小屋組を持つ、農家型の神主家住宅として貴重な建築であることを指摘する。



五、江戸時代における広島の和紙産業 ―地域の伝統文化を学ぶ一例として―

 株式会社メガネトップ 小路鈴華
 広島市立大学 山口えり

 江戸時代、広島のほぼ全域で和紙生産は行われていたが、現在、そのことはほとんど知られていない。中でも特に広島に分布している河川の存在は和紙生産を考える上では無視できない。広島藩では、特に「諸口紙」が名産とされ、行政・財政を支えていた。本報告では、広島で行われていた和紙の専売制について、『芸藩志拾遺』「巻六 製紙」を中心に検討する。整理すると、和紙を生産するにあたり必要である楮は藩から支給される仕組みになっており、和紙の生産量も藩が全て厳重に管理していたこと、和紙の生産も需給状況に応じて漉かせる紙の種類と生産量などが決められ、各地域に割り当てられていたこと、また、作られた和紙は藩によって買い上げられ、「官印」が押され、抜売買への取り締まりが厳重に行われていたこと等が明らかとなった。現在の広島市の商業中心地を形成しているのは紙屋町であり、製紙と広島との前近代からの関係性について述べることとする。
 

六、黒毛の蒔絵筆について

 広島大学 伊藤奈保子

 平成十三年(二〇〇一)文化庁が戦後はじめて「文化財を支える用具・原材料の確保に関する調査」をまとめ、伝統的な技術を要する道具の消失が加速していることが明らかとなった。蒔絵筆のネズミの毛、即ち黒毛の蒔絵筆は一九九〇年代以降入手が困難となり、伝統工芸品で制作できなくなる品も増え、国宝・重要文化財の修復に支障を来している状況に陥った。黒毛、特にクマネズミの蒔絵筆は、その毛先の水毛の構造から、こしが強く一㎜内に三~五本の線が均等に長くひける一級品である。一九八〇年代に主な生息地であった滋賀県琵琶湖周辺の田畑や芦辺の開発が進み、護岸整備等が行われ、ネズミを捕る猟師もいなくなったことから、ネズミが姿を消し、黒毛の蒔絵筆は制作がされなくなった。石川県輪島の蒔絵業組合、漆芸修復に携わる更谷富造氏、代々黒毛の蒔絵筆を制作する京都の村田九郎兵衛氏、蒔絵筆の新作を試みる一般企業を取材し、日本の文化財を支える貴重な道具・技が消滅してゆく工程を確認し、対応策を講じる状況について報告したい。